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タカハシクリニックは千葉県松戸市幸田2−72にある内科系の医院です。月〜木は朝8:30〜から夜7:30まで診療 土曜日は昼12:00まで診療致します。

電話でのお問い合わせはTEL.047-394-2211

〒270-0001千葉県松戸市幸田2-72

クリニック案内clinic guide

院長ごあいさつ

昭和63年7月に個人開業の足立区西新井の高橋クリニックを発展させ平成6年9月 同地に医療法人社団 成風会を設立し 高橋クリニック(本院)とともに地域に根ざした医療を提供するため医療法人社団 成風会の分院として平成9年2月松戸市幸田2−72に開院しました。3人の医師がそれぞれの専門性を生かして最新の知識 知見 医療情報 医学情報の証拠に基づいた医療のソフト面と医院で備えられる十分な医療機器のハード面を互いに用いて、お一人お一人に合った適切な医療を提供しております。 

外国人の方に対しても当院3人の医師が英語にて、対応致しております。

  • 明治18年千葉県香取郡で大工黒須重次郎の長男として生まれる。大正元年 旧制第一高等学校より東京帝国大学医科大学卒業 東京慈恵会医科大学第二代学長 金杉英五郎先生の千代田区駿河台の金杉病院 奉職 大正2年 金杉病院よりスイス バーゼル大学医学部ジーベルマン耳鼻咽喉科教授教室に留学 大正4年 帰国 金杉病院 副院長 大正10年 東京慈恵会医科大学 東京病院 耳鼻咽喉科部長 大正12年関東大震災 千代田区永田町自宅焼失 東京慈恵会医科大学東京病院を退職し、千代田区永田町 旧自宅跡に耳鼻科診療所開設 昭和3年 妻 貞子没 昭和10年 スクリバ・トモエと再婚 昭和15年 東京慈恵会医科大学より学位論文「日本人側頭骨錐体尖蜂窩の臨床解剖学的研究」にて医学博士授与 昭和19年 戦災のため 永田町の病院を閉鎖し神奈川県湯河原町に疎開 昭和21年 湯河原にて温泉旅館楽山荘を改築し黒須耳鼻咽喉科病院開設 昭和23年 湯河原駅前に病院を移転 昭和25年 医療法人財団葵会設立 昭和26年 港区六本木に分院開設 昭和32年第6回国際耳鼻咽喉科学会出席(米国 ワシントン) 汎太平洋外科学会会員 日本気管食道科学会特別会員 日本耳鼻科学会終身会員 日本扁桃研究会名誉会員 昭和35年国際ロータリー東京南クラブ会員 昭和44年 日本医師会最高優功賞受賞 昭和47年11月17日没 黒須巳之吉先生を太い根を有する木の幹とし黒須一族では多くの医師が誕生しており高橋英毅・日出雄・薫3人もその枝葉におります。 
  • 尚、スクリバ・トモエは、明治のお雇い外国人医師で内科のベルツと共に日本で20年以上 東京大学と晩年は聖路加病院で外科学の臨床・教育・研究を行い現在の日本の外科学の基礎を築き多くの日本人外科医を輩出したドイツ人医師ユリウス・スクリバの二男エミール・スクリバEmil Scriba1890-1933が前夫であり、亡くされた後、黒須己之吉と再婚しました。 
  • ベルツは明治9年お雇い外国人医師として日本に着任。29年間日本に滞在し、西洋医学の基礎を築き花と共に明治38年ドイツに帰国。大正2年ベルツは、63歳で生涯を閉じ、大正11年ベルツ花夫人は、日本に帰る。その後亡くなるまでの15−16年間 花夫人とスクリバ・とトモエが生活を共にした。スクリバ邸の中に花夫人を引き取り、その住まいとスクリバ邸を廊下でつなぎ孤独な花夫人をいたわっていた。この間、肺炎を患った花夫人をベルツの門弟入澤達吉博士の診療を受け快癒した。その後中耳炎を患った際は、自宅に黒須巳之吉博士を招いて手術を受けた。昭和8年スクリバの次男で巴の夫エミール・スクリバが逝去した。エミール・スクリバの妻巴未亡人は、この広大な平河町の土地を隣り合せの三井高精氏に譲った。そしてまもなく杉並区和泉町に花夫人ともども移った。同じ敷地内に隣り合って住んでいた巴とその一人娘エミーを孫のように可愛がった。昭和10年 先妻を亡くしていた黒須己之吉博士と巴夫人は再婚した。そして巴夫人は、花夫人のそばで最後まで面倒を見ていたが昭和12年花夫人は74歳で静かに眠るような最後を迎えた。 (ベルツ花 鹿島卯女 著より)
  •  
    左巴夫人と右ベルツ花夫人(ベルツ花 鹿島卯女著より)
    左より3行目
    「自宅に黒須巳之吉博士を招いて手術をうけた」との記載
     巴夫人とベルツ花夫人(ベルツ花 鹿島卯女著 より)

  • 黒須巳之吉先生とその右が巴夫人(高橋英毅結婚式にて) 
     黒須巳之吉先生とその右が巴夫人 右端が英毅・日出雄・薫の父高橋神酒造(高橋英毅結婚式にて)
                      
  • ↑母ゆきの叔父黒須巳之吉先生の言葉 私共のクリニックの理念です。 

    「医の任たるは病唯病を察するのみ、富貴を視ること勿れ、貧賎をみること勿れ、唯病之察するのみ」老医88歳(1972年)黒須巳之吉筆 これは、東京慈恵会医科大学 学祖 高木兼寛の「病気を診ずして、病人を診よ」と一見矛盾しますが、イギリス医学を学んだ高木兼寛は「病者を病に悩む人間とみる医風」へと転換すべきと述べ、純粋に病に苦しんでいる人を診るのであって、その人の身分や貧富を見て差別しないとの考えであり、その理念は黒須巳之吉と同じです


    東京大学医学図書館前のベルツ(左)とスクリバ(右)胸像 
     

診療について

タカハシクリニックは、内科系の保険診療の医院です。
内科一般 心臓疾患 胃腸疾患 糖尿病 生活習慣病をはじめ慢性病と急性疾患を毎日朝8:30より診療しております。
漢方エキス剤及び漢方生薬保険診療行っております。松戸市検診として基本健診 肺がん健診 大腸がん検診 胃検診及び大腸がん検診で精密検査が必要な方の上部内視鏡(細徑胃カメラ検査)下部内視鏡検査(大腸鏡検査)も行っております。
当院は人間ドック学会に属しておりますので、人間ドック学会と集合契約を結んでいる社会保険健保組合 国民健康保険の特定健康診査(特定健診)を行っております。詳細は受付までお問合せ下さい。
当院は
院内処方です。診療終了後、会計時にお薬をお渡しできます。
松戸市委託の子宮頚がんワクチン(サーバリックス、ガーダシル) 65歳以上松戸市在住者のインフルエンザワクチン接種しております。
自費での予防接種 
A型肝炎ウイルスワクチン
(税込\5500) 
B型肝炎ウイルスワクチン
(税込\5500) 
成人肺炎球菌ワクチン(ニューモバックス)
(税込\7700) 
子宮頸がんワクチン
(サーバリックス、ガーダシル)(税込\17600)
麻疹ワクチン
(税込\5500) 
風疹ワクチン
(税込\5500)
風疹麻疹(MR)ワクチン
(税込\9900) 
水痘ワクチン
(税込\7700) 
ムンプス(おたふくかぜ)ワクチン
(税込\5500) 
沈降破傷風トキソイドワクチン
(税込\5500) 
その他の予防接種ワクチンについては、ご相談下さい。
海外旅行前の予防接種ワクチンについても事前にご相談ください。
会社提出の健康診断 入学時の健康診断行っております。
(税込\3300)及び検査が必要な場合の検査料)
英文診断書
(税込\5500)及び検査が必要な場合の検査料) 

当院の看護師 弾性ストッキングコンダクターの資格を有しております。
下肢静脈瘤で弾性ストッキングを院内にて処方し、履き方の指導も致しますのでご相談下さい。


医師

院長
高橋 薫 医師経歴及び資格                            1975 東京慈恵会医科大学卒業                           1977 東京慈恵会医科大学付属青戸病院内科助手                   1980〜1982カナダ オタワ大学医学部生理学教室留学                 1984 東京慈恵医科大学 医学博士                         1984 東京慈恵会医科大学付属青戸病院内科講師                                                            日本内科学会 内科認定医及び総合内科専門医
日本循環器学会専門医
日本糖尿病学会専門医
日本温泉気候物理医学会 温泉療法医及び温泉専門医
日本東洋医学会専門医、
日本老年病学会専門医
日本抗加齢医学会専門医
日本消化器病学会専門医                              人間ドック学会専門医                                米国内科学会会員(member of American College of Physician{ACP})         日本補完代替療法学会学識医
医師
高橋 日出雄 医師経歴及び資格
1972.3 群馬大学医学部卒業
1972.5 医師国家試験合格
1972.5 東京慈恵医科大学大学院入学
1974.4 癌研究会付属病院外科
1975.6 米国イリノイ州セント、フランシス病院インターン
1980.4 東京慈恵医科大学大学院卒業医学博士
1987.7 東京都足立区医院開設
1997.2 千葉県松戸市分院併設

日本外科学会認定医
日本大腸肛門病学会専門医
日本消化器内視鏡学会専門医
日本温泉気候物理医学会 温泉療法医及び温泉専門医
日本ヘリコバクター学会ピロリ菌感染症専門医
大腸肛門病学会認定専門医                              高橋日出雄理事長 以下 松戸市医師会寄稿文です。

2018年は私の医療人生の中で最も印象深い年となりそうです。1972年に大学を卒業し,即大学病院の外科医局に入局し、消化器外科を主に学びました、さらに大学院外科学教室での6年間を終了した後、足立区にクリニックを開くことを決心した。1987年に足立区医師A会員となり、開業医として地域医療に従事して参りました。また1997年からは松戸で内科医の弟が医院を開業し、主に週1回消化器科を担当しておりますが、今年から松戸医師会主導のもと胃がん検診にも参加するために、松戸市医師会にもB会員として所属させていただきました。今年45月に大型連休を利用して、循環器内科医である弟と二人でヨーロッパ旅行を企てた。まず、Swiss Zurichでレンタカーを1週間借り切った。次の都市Baselに行き、最初の目的である明治生まれで母の叔父耳鼻科医の留学先バーゼル大学を訪問した。また明治初期、日本で西洋医学の父と言われたあのドイツ人医師E, von Baelz博士と外科医JScriba博士に関する新しい知見を得るため フライブルクFreiburg大学病院外科病棟を訪問した。チュービンゲンやハイデルベルクの都市を訪れ、Heidelberg大学病院外科病棟や記念碑を訪れ、次にDarmstadt市に向い、州立ヘッセン博物館で地下展示されている日本から持ち帰ったScriba 寄贈の展示品Scriba Collection数点を拝見し、記録写真も数枚撮らしてもらった。レンタカーで都市を回って、ドイツ国内数か所を縦断する様に、高速道路アウトバーンを利用し、オランダのアムステルダムまで約1000kmを走破した。旅程後半はアムステルダムで開催された国際学会に3日間出席し、発表を無事終えた。また、会場には大阪大学と群馬大学出身公衆衛生学の先生方と偶然お会いした。全行程9日間の急ぎ足のような旅を経験してきました。

今回、ドイツの印象は回った各都市や町が非常に静かで落ち着いて、その街並みや人々も親切で穏やかな雰囲気を与えているように感じました。大学病院や外来、病棟は余裕をもって広く古い伝統のなかに近代的な建物や設備が見られました。一方アムステルダム市街は白人、東洋人などが闊歩し、混在した人種の観光客が多く、夜10時頃まで日が暮れるのが遅く、騒々しく雑然とした印象でした。

9月には突然MexicoからE:mailが届いた。送り主はなんと1975年に米国シカゴで外科インターンを一緒に回ったDr.Medina というメキシコ出身の医師だった。何と43年ぶり私のYahoo E:mail アドレスを見つけ出して、連絡をしてくれたのであった。40年以上の空白期間で、お互いにその後医師としてどのような経過を辿っていたか全く不明であった。よく私をネットで見つけ出してくれたものと感心するばかりである。互いに当時20歳代の若者の時期から一騎に前期高齢者として年代を飛び越し、メキシコではそんな高齢者分類はないと思うが互い既にもはや70才台に突入して白髪交じり、老齢化した顔貌の年齢は明らかに間違いないようだった、互いに家族の近況写真を添付で送ったが、Dr.Medinaの息子さんとパラグアイの外科学会に参加した時の記念写真を見て、息子さんと仲良く肩組んでいるツーショットのイメージは父親とて息子さんを多いに誇りの思う雰囲気が現れていた。老骨の私も内科医の息子との記念写真をメキシコに送った。急に懐かしくメキシコに行って互いに直接話し合ってみたいと思ったが、ネットで参照して見ると、地球上で最も危険な都市に20位以内にランクアップされている国がメキシコであったし、その中に2つの都市が入っているので、旅行したい気はあるものの、何せ体力、財力なく、時間もないのでメールでのやり取りで我慢しようかと考えている。更に10月に同じYahooメールでJennifferという女性からメールが届いた。当時、彼女は20代の中国系フィリッピン人で日本語を勉強する目的で留学し、わたくしの家でホームステイして家族とも懇意となった。彼女は嗅覚障害があり、大学病院耳鼻科で治療を受けるため、自分の大学病院耳鼻科を紹介して治療を勧めていたことがあった。なんと15年ぶり、やはり私のYahooメールでのアドレスを見つけ、メールを送ってきたのである。メールで伺うと彼女はその後、IBMという日本のコンピュター会社の支社に勤務して、そこでドイツ人技師と知り合い結婚し、ドイツの片田舎で現在生活しているとのことだった。そこはなんと後で判明したが、今年4月レンタカーで通り過ぎた町であった。もはや彼女は2人のお嬢さんを持つ国際的な主婦となっていた。近況の写真でも幸せそうな家族4人の笑顔が写っていた。 今年も11月の初旬、息子からはまだ頭がボケるなとパワハラ紛いに強く責められているが、12月の年末までに何が起こるのか私もDementia senilisに陥らないように気力だけは何とか保ちたいと思う。

医師
武田 淳史 医師経歴及び資格                           1983 岩手医科大学卒業
1989 東京慈恵医科大学内科系大学院卒業
    東京慈恵医科大学付属大青戸病院内科入局
    日本適応医学会理事
    第13回日本適応医学会学術集会2009年会長
    元群馬パース大学保健科学部 教授 医学博士(循環器内科学)
    循環器・糖尿病など内科総合診療が専門
 1992〜1993 ドイツ マックス・プランク研究所留学                 2012 東京医療学院大学 教授

日本内科学会認定医
日本医師会認定産業医
日本温泉気候物理医学会 温泉療法医及び温泉専門医
当院の医師(高橋日出雄・薫・武田淳史) 三人とも日本温泉気候物理医学会 温泉療法医及び温泉専門医です
武田淳史医師は、令和3年1月29日30日31日 第85回日本温泉気候物理医学会総会(東京)の大会長に選出されました。森喜朗元総理の特別講演含め盛会のうちに幕を閉じました。
平成28年5月14日 群馬県伊香保にて第81回日本温泉気候物理医学会で当院 高橋薫・高橋日出雄・武田淳史各医師が温泉気候に関する演題発表

TAKAHASHI Clinicタカハシクリニック

〒270-0001
千葉県松戸市幸田2-72
TEL 047-394-2211
FAX 047-394-2212

「明治初期の近代西洋医学の曙」

明治維新新政府は、ドイツ医学導入を決定し3人目のお雇いドイツ人ベルツが27歳で赴任以後26年間東京大學で内科学教育・研究・診療し直接門下生森林太郎(森?外)含め八百人。鼈氏内科全書・鼈氏診断学等を著す。ベルツ水・恙虫病発見・蒙古斑等にその名を残す。草津温泉に魅了され日本伝統の温泉療法を高く評価。
内科エルウィン・フォン・ベルツと外科のユリウス・カール・スクリバが着任後共に日本人を妻とし 20年以上日本に滞在し、日本の近代西洋医学を築く。共に群馬草津温泉湯畑に面した江戸時代から続く一井旅館に滞在した交流を旅館主人の市川善三郎著「草津温泉とベルツ」と鹿島出版 鹿島卯女著「ベルツ花」に記述に詳しい。

保険診療漢方生薬処方の   タカハシクリニック

www.takahashi-clinic.biz

047-394-2211(月?木)

自由診療漢方生薬処方の  カムクリニック

www.cam-clinic.com
047-710-0990(火木金土)

毎年10月下旬から11月初旬まで開催される正倉院展には例年正倉院薬物が出品されております。医療法人社団成風会橋クリニック本院&分院のタカハシクリニック&カムクリニックは正倉院展の開かれる奈良国立博物館の賛助会員です。

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